【トルコ人の八百屋さん】
目が合うと、「はい、そこのマダム、こっちいらっしゃい、おいしい果物あるよ!」
とトルコ人の八百屋さんに声を掛けられました。
「Banane ein Euro, Banane ein Euro!(バナナ1ユーロ、バナナ1ユーロだよ!)」という威勢の良い声を今でも思い出します。
不思議なのですが、元気の良い声がする方に、何故かふらっと行ってしまうのです。
当時、どうしてトルコ人経営の八百屋さんを多く見かけたのかというと、次のような理由があります。
【トルコ系移民の歴史的背景】
・1960年代の「ガストアルバイター(出稼ぎ労働者)」制度
ドイツは経済成長(いわゆる「経済の奇跡」)に伴い労働力不足に直面し、1961年にトルコと労働協定を結びました。
その結果、多くのトルコ人がドイツに移住し、当初は工場労働などに従事しました。
・その後、多くの人が定住し、家族を呼び寄せて第二世代・第三世代へと拡大していきました。
【八百屋や食料品店を営む理由】
・参入しやすい業種
野菜や果物の小売業は、比較的少ない資金で始められ、特別な資格も不要なため、移民にとって生活の基盤を築く入り口になりやすい業種でした。
・民族コミュニティ向け需要
トルコ系や他の中東・南欧系移民の人々は、自国の食文化に根ざした新鮮な野菜・果物を必要としていました。
大型スーパーでは当時まだ十分に取り扱われない食材も多く、八百屋は重要な供給源でした。
・家族経営に適していた
八百屋は朝早くから夜遅くまで働く必要がありますが、家族で協力できるため、移民コミュニティの生活形態に合っていました。
【フランクフルトという都市の特徴】
・フランクフルトは国際都市であり、早くからトルコ系を含む移民が多く住んでいました。
・特にハウプトバッヘや中央駅周辺は交通の要所で、人通りが多いため、移民が商売を始めるには適した場所でした。
・2000年代にはすでに「トルコ人街(リトル・イスタンブール)」と呼ばれるエリアも形成されていて、八百屋・ケバブ屋・ベーカリーなどが集中していました。
【当時よく見かけた理由のまとめ】
つまり、
- 1960年代以降のトルコ移民が定住したこと
- 食品小売業が移民にとって参入しやすく、需要も高かったこと
- フランクフルトの多文化都市としての性格と好立地
この三つの要素が重なり、2000年代のフランクフルトではトルコ人の八百屋さんをよく見かけた、という背景があります。
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