ドイツで働けるようになるまで、大学を卒業してから10カ月が経っていました。
というのも、私が卒業した2003年にイラク戦争が始まったからです。
大学在学中と卒業後の10カ月、私が一体何をしていたのかをお話いたします。
大学4年の就職活動
インターンシップを終えて帰国したのち、すぐにドイツでの仕事を考え始めました。
どういうところが良いのか悩んでいた時に、ある先生から、「ドイツと日本を繋ぐような仕事が良いから、日系の旅行代理店はどうだろう?」とアドバイスを頂きました。
そのアドバイスを受け、インターネットでドイツにある日系の旅行代理店を調べて、電話をし、「働かせてください!」と直球勝負。
しかしながら、1件目も2件目もあえなく撃沈。。。
ドキドキしながら3件目の電話をしました。緊張で受話器を持つ手が震えていました。断れると思いきや、「履歴書を送ってくれませんか?」とのお返事でした。
急いで履歴書を作成し、送ったところ、社長さんが直接お返事を下さいました。「今のところは、人が足りていて、すぐに雇うことができませんが、検討させてください。」とのことでしたが、その後も、社長さんとは、何となくメールのやり取りが続きました。
そうこうしているうちに、イラク戦争が始まり、社長さんから、「戦争の影響で日本からの旅行がほぼキャンセルになってしまいました。今いるスタッフも半日だけの業務になっています。あなたを雇えなくて申し訳ない。」との事でしたので、別の仕事を探し、ある会社の事務職員として採用されました。
初めての社会人
事務職員としての生活が始まりましたが、仕事を覚えるのに必死で、毎日クタクタでした。ドイツ語の勉強からも少しずつ遠ざかっていきます。そのことに焦りを感じ始めていました。
ドイツ語をしっかり勉強したいことを姉に相談しました。姉は、仕事の関係で、関東で暮らし始めていて、「こっちに来て一緒に住んで勉強したらいいじゃない?」と言ってくれて、半年で勤めていた会社を退職し、姉のいる関東へ引っ越しました。
ドイツ語に向き合った日々
関東では、住んでいたアパートの近くの喫茶店で週に4日バイトをし、それ以外は、ドイツ語の勉強を続けました。
そんな中、ドイツ語の某テキストのお知らせ欄に、名古屋の南山大学で開催されるドイツ語の弁論大会に関する記事を見つけました。
なんと、大会優勝者は、ドイツ行きの往復航空券が貰えることが分かり、早速、応募しました。大会で発表する原稿は、恩師のまりこ先生に添削していただきました。
いざ、弁論大会へ参加しましたが、壇上へ上がると、極度の緊張に襲われ、途中、頭が真っ白になり、言うことがどこかへ飛んでしまいました。
どうしよう、、、と思ったとき、私の後ろにいらした方が、次に言うことを囁いて下さり、何とかその場を乗り切ることができました。
壇上には、発表者のための補助員がスタンバイされていました。
私以外の参加者のほとんどは南山大学のドイツ語学科に在籍していて、指導教授のもと、この大会のために3カ月間、ドイツ語を磨いてきた方ばかりでした。
暗記は当たり前、その上、表現まで付ける余裕さえありました。レベルの違いを痛感しました。
当然のことながら、私は、入賞することさえ出来ませんでした。
この弁論大会での出来事もドイツの社長さんにはメールで報告していました。
一時帰国の社長さんと初対面
ある時、社長さんから「日本に一時帰国しますので、会いませんか?」との連絡を頂きました。
ついに社長さんと対面し、「1カ月後、ドイツへ来ることができますか?」と言われ、私はすぐさま、「はい、行きます!」と答えました。
社長さんから、「あなたはいいかもしれないけど、ご両親が心配すると思います。ご両親に連絡して了解を得てください。」とのことでした。
すぐに母に電話し、「ドイツで働けることになりました。行っても良いですか?」と伝えたところ、母から、「あなたは私が反対しても行くでしょう。これは何の電話?」と言われました。
ドイツへ行くまでの1カ月間は、実家に帰り、家族とゆっくり過ごしました。
社長さんが私を採用したのは、ドイツ語の弁論大会に参加したことを評価してくださったからとのことでした。
どんなことがきっかけで運命が変わっていくのか分かりません。
あの弁論大会で流した冷汗は、無駄にならなかったと改めて挑戦して良かったと思いました。
さあ、次は、いよいよドイツへ出発です。
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