No.032 ハウプトバッヘ駅の地下で見かけたトルコ人の八百屋さん

日常

【トルコ人の八百屋さん】

目が合うと、「はい、そこのマダム、こっちいらっしゃい、おいしい果物あるよ!」

とトルコ人の八百屋さんに声を掛けられました。

「Banane ein Euro, Banane ein Euro!(バナナ1ユーロ、バナナ1ユーロだよ!)」という威勢の良い声を今でも思い出します。

不思議なのですが、元気の良い声がする方に、何故かふらっと行ってしまうのです。

当時、どうしてトルコ人経営の八百屋さんを多く見かけたのかというと、次のような理由があります。

【トルコ系移民の歴史的背景】

・1960年代の「ガストアルバイター(出稼ぎ労働者)」制度

ドイツは経済成長(いわゆる「経済の奇跡」)に伴い労働力不足に直面し、1961年にトルコと労働協定を結びました。

その結果、多くのトルコ人がドイツに移住し、当初は工場労働などに従事しました。

・その後、多くの人が定住し、家族を呼び寄せて第二世代・第三世代へと拡大していきました。

【八百屋や食料品店を営む理由】

・参入しやすい業種

野菜や果物の小売業は、比較的少ない資金で始められ、特別な資格も不要なため、移民にとって生活の基盤を築く入り口になりやすい業種でした。

・民族コミュニティ向け需要

トルコ系や他の中東・南欧系移民の人々は、自国の食文化に根ざした新鮮な野菜・果物を必要としていました。

大型スーパーでは当時まだ十分に取り扱われない食材も多く、八百屋は重要な供給源でした。

・家族経営に適していた

八百屋は朝早くから夜遅くまで働く必要がありますが、家族で協力できるため、移民コミュニティの生活形態に合っていました。

【フランクフルトという都市の特徴】

・フランクフルトは国際都市であり、早くからトルコ系を含む移民が多く住んでいました。

・特にハウプトバッヘや中央駅周辺は交通の要所で、人通りが多いため、移民が商売を始めるには適した場所でした。

・2000年代にはすでに「トルコ人街(リトル・イスタンブール)」と呼ばれるエリアも形成されていて、八百屋・ケバブ屋・ベーカリーなどが集中していました。

【当時よく見かけた理由のまとめ】

つまり、

  1. 1960年代以降のトルコ移民が定住したこと
  1. 食品小売業が移民にとって参入しやすく、需要も高かったこと
  1. フランクフルトの多文化都市としての性格と好立地

この三つの要素が重なり、2000年代のフランクフルトではトルコ人の八百屋さんをよく見かけた、という背景があります。

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