「僕たちの国の子どもは、満足に教育を受けられる状況ではないんだ。」
「だから、君には夢を叶えてほしい。」
「日本には、君が夢を叶えられる環境があるのだから。」
パレスチナから来日した教育関係者に言われた言葉を今も忘れることが出来ない。
彼らとの出会いは、大学生のとき。
ODA(政府開発援助)のカリキュラムで、パレスチナの教育関係者が10名ほど、日本の初等中等教育の現場を視察に来たことがある。
英語が堪能で、教育を専門としていた大学の恩師に、JICA九州より協力要請があり、恩師の研究室の学生は私を含め全員、パレスチナの教育関係者に同行し、お手伝いをすることとなった。
初等中等教育というその名の通り、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学を視察する約2週間のプログラムだったと記憶している。
私は、日本にいて生の英語に触れる絶好の機会にとてもワクワクしていた。
彼らの公用語はアラビア語。
英語を話すときは、「r」が巻き舌となるので、なかなか聞き取ることが出来なかった。
一日の視察を終えると彼らはJICAの宿泊施設へと帰っていく。
夕食が済んだ頃合いを見計らって、恩師と私たち学生もJICAへ行き、パレスチナの皆と体育館で、一緒にバレーボールをして汗を流した。
体育館の近くにテレビがあって、英語のニュースがずっと流れている状態だった。
あるとき、テレビを見ながら皆でおしゃべりしていたら、パレスチナが映し出され、家屋が次々に取り壊されていく瞬間が流れた。
一人が、「あっ、今の僕のおじさんの家だ。」といった。
「えっ?!」
誰もが息を吞んだ。
信じられない出来事だった。
「相手は、武器をもって攻撃してくるけれど、僕たちは、石を投げることしかできないんだ。」
暗い雰囲気に包まれた。
これが彼らの国の現実。
日本で平和に生活してきた私にとって、パレスチナの状況は、あまりにも残酷で、想像を絶するものだった。
「僕たちは生き延びることに必死で、子どもたちは夢を見ることさえもできないでいる。」
と、悲しそうに話をしていた。
あれから20数年。
パレスチナは、今もなお、戦闘や衝突により、予断を許さない状況が続いている。
彼らは元気にしているだろうか?
パレスチナの子どもたちは、教育を受けられているのだろうか?
戦争によって生じる教育の不平等ほど、理不尽なものはない。
武器ではなく、優しさを。
戦うのではなく、歩み寄りを。
子どもたちには、平和な世界を。
