3歳から始めた剣道の練習は、小学校を卒業するまで、週に4日ありました。
中学生になると道場と部活を掛け持ちしていましたので、元日以外は、毎日、練習がありました。
筋力、体力ともに少しずつつき始め、試合でも、良い結果に繋がることが増えてきたころでした。
お陰で、ようやく自信もついてきていました。
一方で、37歳で剣道を始めた母親は、私が中学一年生になったときには、47歳でした。
こちらは体力、筋力ともに下り坂に入っていました。
道場は、唯一、親に仕返しできる絶好の場所でした。
しかもそれを剣道を通して堂々とできる。
普段の生活でやられている分をやり返してやる。という思いで気合が入っていました。
というのも、一度、中学一年生のころ、ちょうど反抗期の時期でした。学校行く前に母親と言い争いになり、それだけでは終わらず、初めて取っ組み合いにまでもつれこんだことがありました。
余裕で倒せると思っていましたが、これがなかなかしぶとい。
結局、最後は、母に張り倒されて完敗し、悔し涙を流しながら、学校に登校しました。
無遅刻、無欠席の私が遅刻して、しかも泣いているのを見た担任の先生が心配して、「どうした?何があった?」と聞いてきましたが、ただ一言、「母親に負けました。」とだけ伝えました。
こういうこともあり、夕方から始まる道場の稽古は特別に気合が入っていたのは言うまでもありません。
いざ、勝負の時が来ました。
絶対、母をボコボコにしてやると気合を入れ直します。
そして、じりじりと詰め寄り、「メ~ン!」と打っていきました。
すると、母は「ドウ!」と私の面を返して胴を思い切り打ってきました。
しかしながら、母が打った胴は、一本になる正しい胴の部位ではなくて、胴で守られていない私の脇、すなわち、道着しか着ていない、何も防御されていない個所を強く打ってきたのです。
「ウッ。」激痛が走りましたが、稽古中です。途中で投げ出すわけにはいきません。
痛いのを必死で我慢しながら、太鼓の”止め”の音が鳴るまで稽古を続けました。
普段の分をやり返そうという闘志をメラメラと燃やしていたのに、なんでもない、ただ痛いだけの胴を受けて、ある意味、母の返り討ちに遭ってしまいました。
稽古が終わり、家に帰ってきて、お風呂に入りました。脇には、思い切り母に打たれた「痣」がしっかりと残っていました。
今となっては笑い話ですが、私にとっては、とても印象に残る母との思い出でした。
皆さんは、反抗期に、ご両親とどのようなできごとがありましたか?そして、その反抗期をどう乗り越えられましたか?よろしければ、コメント欄にてご共有いただけると嬉しいです。
  
  
  
  
